生物にとっての鉄の重要性

「鉄」というと医学、生物学の領域ではどんなことを想像しますか?貧血ですか?育児の経験のある方だったら、栄養素としての鉄でしょうか?

鉄は私達が生きていくために不可欠な微量金属です。でも、鉄が神経変性疾患やガンを引き起こす事も知られていて、皆さんが想像しているより大切なのです。では、生物にとって鉄は何故大事なのか簡単に説明して、その後、私達のこれまでの研究と今後の目標について説明してゆきたいと思います。

鉄は生物に必須な微量元素であるのは、鉄が生命体の至適pHである弱アルカリ性の還元環境下では、主としてFe2+として存在して易溶性であることに加え、容易に電子を授受できる酸化還元反応の活性中心として最適の性質を有しているからです。また、酸素、一酸化窒素(NO)などのガスと高い親和性を持っていることも大切な性質です。

酸化還元反応は電子を受け渡す反応で、細胞内で生じている色々な化学反応、—代謝と総称されますー、の最も大切な反応の1つです。反応を触媒するタンパク質を酵素と呼びますが、鉄は種々の酸化還元反応を触媒する酵素の活性中心として働いています。そんな酵素の代表がリボヌクレオチドリダクターゼで、鉄がなければ私達はDNAを合成できないのです。また鉄は酸素運搬や呼吸鎖の最終電子受容体である酸素への電子供与にも関与し、エネルギー産生の重要な機能も担っています。
それゆえ、鉄は重要なのです。

鉄は必須であるだけではなく、毒性を持ちます。それは大気中に20%の酸素が存在しているからです。地球の歴史を顧みれば、藍藻、植物などによる光合成大気中の酸素分圧の上昇は地球上の生物に大きな変化を与えたことが知られています。鉄と酸素との強い反応性のためにフリーラジカルの産生源となって細胞障害性を発揮することになったのです。すなわち、鉄は必須の栄養素であるのみならず激しい毒性を有していることから、鉄不足・鉄過剰ともに細胞にとって不利な状況になるので、鉄代謝を厳密に制御するシステムを供えています。

図1 : 鉄の役割と毒性

これまでの研究の概略

以下は私たちがこれまで進めてきた細胞の鉄代謝調節機構の概略と私達の研究成果です。

右の図2に細胞の鉄代謝系の概略を示します。細胞は取り込みタンパク質であるトランスフェリン受容体1(Transferrin receptor 1:TfR1)と貯蔵タンパク質であるフェリチン(ferritin:Ft)の発現を細胞の鉄存在量に応じて調節し、鉄不足・鉄過剰を生じない様にしています。この鉄に応じたTfR1とFtの発現は転写レベルではなく、mRNAレベルで制御されています。図に示すように、FtやTfR1のmRNAには種を超えてIRE (iron responsive element)と呼ばれるステムループ構造が存在しており、IRP(iron regulatory protein)と呼ばれるRNA結合タンパク質が鉄欠乏下においてのみIREに選択的に結合することによって、その制御下にあるタンパク質の発現量を制御しています。すなわち、細胞は鉄濃度が低い場合にのみそれらのmRNAにIRPを選択的に結合させることにより鉄取り込みタンパク質であるトランスフェリン受容体、鉄貯蔵タンパク質であるフェリチンの発現を調節することで、鉄代謝を制御しています。(図3)
IRPには相同性の高いIRP1とIRP2が存在しています。IRP1、IRP2のダブルノックアウトマウスは胎生致死になり、IRP1ノックアウトマウスが顕著な症状を示さないのに対し、IRP2ノックアウトマウスは神経変性疾患様の症状や小球性貧血を呈することから、IRE / IRP制御系は個体レベルでの生命維持に必須のシステムであること、IRP1とIRP2は相補的に働くが、IRP2の方が中心的役割を果たしていることが示唆されています。

IRP1は鉄-硫黄クラスターが着脱することで活性を制御されています。私たちはIRP2に焦点を絞り、その鉄イオンによる活性制御機構の研究を進めてきました。IRP2が鉄依存性にユビキチン化されて分解されることを同定しました。さらに、IRP2の分解にはヘムが関与することを見出しました。言い換えれば、IRP2は鉄濃度の変化をヘム濃度の変化として感知する鉄代謝センサータンパク質であると言えます。
従来、細胞は細胞質鉄イオンプールを介して鉄濃度を感知すると想定されてきました。IRP2の鉄依存的分解を惹起するSCFFBX5ユビキチンリガーゼが同定され、そのIRP2認識サブユニットであるFBXL5が細胞質鉄イオンプールから供給される鉄イオンと結合することで安定化することが示されました。私たちの研究成果と併せて考えると、細胞は細胞質鉄イオンプールとミトコンドリアでのヘム合成の両者が十分にあるときのみ鉄過剰と認識すると考えられます。

図2 : 細胞内鉄代謝とその制御

図3 : IRPの鉄による制御